1度で心に刻まれる“命の授業”子供にも知って欲しい:僕が猟師になった2つ目の理由
■「僕が猟師になった理由その2」
前回、僕が猟師になった理由その1として
「自分の力で食べ物を手に入れたかった」
という話を書きました。
今回はその続きで、もう一つの大事な理由――
“命の勉強”をしたかった
ということについて書きます。
これは、僕が猟師になるうえでとても大きな気持ちでした。
■ 命って、ほんとうはどこから来て、どこへ行くの?
普段の生活では、肉も魚もきれいなパックに入って売られています。
それを買って、家で焼いて、食べる。
でも、僕はいつも心の中で思っていました。
「このお肉は、もとは“生きていた命”なんだよな…」
だけど、その命がどんな姿だったのか、どう生きていたのか、
どう最期をむかえたのか、全然わかりません。
それって、“命の大切さ”を知らないまま生きているのと同じじゃないかな?
そんな気持ちがずっとありました。

■ 自分で体験してこそ見える「命の重さ」
猟師になって初めて、僕は目の前で“命が生きている瞬間”を見ました。
山の中で出会うシカは、とても強く、まっすぐ生きています。
その姿は、きれいで、力があって、尊くて…。
そして、狩猟という行為には
「命をいただく」 という重さが必ずついてきます。
その瞬間を体験したことで、僕はこれまでの食事の見え方が大きく変わりました。
「当たり前に食べていた肉は、本当はこんなに大切な命だったんだ」
その気づきは、言葉では説明できないほど深いものでした。
■ この“実感”を、自分の子どもにも伝えたかった
「もし自分の子どもにもこの経験を見せられたら、
きっと一生忘れない“命の授業”になるんじゃないか」
もちろん、怖いものを見せたいわけではありません。
ただ、命の大切さを“知識”としてではなく、
“実感”として感じられる機会を作ってあげたいのです。
現代は、とても便利です。
そしてその便利さの中で、命が見えづらくなっています。
でも、何を食べても、必ずどこかに“命”があります。
それを知った子どもは、
食べ物をムダにしなくなるかもしれないし、
動物に優しくなるかもしれないし、
自然を大切にしたいと思うかもしれません。
そのすべては、すごく価値があることだと思っています。
■ 大人の僕でさえ、心をゆさぶられたから
自分で狩猟を始めてから、
僕は「命」についてたくさんのことを考えるようになりました。
・命は軽くない
・食べるということは、その命をいただくこと
・生き物の死があって、僕らの命がつながっている
このことを“体でわかった”とき、
世界の見え方が少し変わった気がします。
だからこそ、僕は猟師としての経験を、
「次の世代にも伝えたい」と思うようになりました。
■ まとめ:理由その2は、一生の学びを得るため
僕が猟師になった理由その2は、
「命の勉強を、自分自身も子どもたちもできるようにするため」
でした。
これは、一生かけて向き合っていくテーマです。
“命をいただいて生きている”という当たり前のことを、
ちゃんと心で感じながら生きたい。
そして、その学びを家族にも、子どもたちにも伝えたい。
その気持ちが、猟師への道をさらに強くしてくれました。
次回、理由その3も書いていきますね。
読んでいただき、ありがとうございます。


